手取り7万円の厳しい船出
まちの不動産屋で窓口店員として働いていた日野会員は、自分の新たな可能性に挑戦するためファイナンシャル・アドバイザーに転身しました。しかし、日野会員の船出は、決して順調なものではありませんでした。100名の知人リストをもとに、上から順にアポイントをとっていくことを懸命にやっていましたが、フルコミッションの営業成績は転身して1年たっても改善せず、月の手取りは7万円程度だったといいます。会社からの風当たりも強く「かなり詰められる」状況でした。もう諦めようと思った日野会員をファイナンシャル・アドバイザーに留まらせたのは、はじめて契約した初老の女性でした。「日野さんがこのお仕事を辞めてしまうのはとっても残念。遠く北海道にいるひとり息子に私の保険の保険金を『必ず届ける』と約束してくれたから日野さんと契約したの。日野さんが仕事を続けてくれたら、そんなに嬉しいことはない」。大切なお客さまの言葉は、日野会員にとってとてつもなく大きなもので、自分に対する悔しさと情けなさを強く感じました。
窓口営業でつかんだきっかけ
会社を辞めざるを得ない状況となったものの、日野会員はファイナンシャル・アドバイザーに留まる決心をしました。大手保険代理店に転籍した日野会員は、無料相談の窓口営業をすることになりました。保険や金融資産について相談にくる多くの人たち。日野会員はこの人たちの給与や資産、住宅や将来の計画について親身になって聞き出すことに徹底しました。詳しく聞き出した情報をもとにライフプランを組み立ててコンサルティングする。この窓口でのコンサルティング営業で、日野会員は自分のファイナンシャル・アドバイザーとしての強みを発見したのです。「窓口営業のロールプレイでは、常に良い成績を得ていました。窓口営業の経験で、自分自身が得意な営業スタイルに気が付きました」。日野会員の営業成績は急激な上昇カーブを描きはじめました。「以前は想像すらできなかった」進化のきっかけは、窓口営業だったのです。
セミナーで見込み客を獲得
窓口営業で自分の強みをしっかり身につけた日野会員は、代理店でフルコミッションのファイナンシャル・アドバイザーとして新たなスタートを切りました。「自分は100のリストを上から順に連絡していくようなスタイルは合っていないことが、その時すでに分かっていました。自分の強みであるコンサルティングを生かす営業スタイル確立を目指しました」。日野会員が取り組んだのはセミナー開催です。セミナーを開催し集客すること、セミナーをへて個別にコンサルティングし、お客さまの信頼を獲得することを身につけ、このスタイルを確立しました。セミナー実施のノウハウ蓄積とともに日野会員の成績は、MDRTからコート・オブ・ザ・テーブル(COT)へと駆け上がっていきました。
総合金融代理店を目指して事業拡大
MDRT会員となって以降、日野会員はMDRT世界大会へも積極的に参加するようになりました。ある時、米ロサンゼルスの大手代理店の経営者と話す機会がありました。日野会員は独立して代理店経営を始めたいと伝えると、「日野さん、あなたはまだCOTですよね。COTでは独立しても人はついてきません。独立する前にまずはトップ・オブ・ザ・テーブル(TOT)になるべきだ」という言葉が返ってきました。この言葉を胸に日野会員はTOT基準を達成し、独立して代理店経営をスタートさせました。「海外には保険だけじゃなく、幅広く金融や税務、住宅について相談を受ける金融商品仲介業者(IFA)が数多くあり、上場している会社もあります」と日野会員は目を輝かせて語ってくれました。「自分は最初からファイナンシャル・アドバイザーのエリートコースを歩んだ訳ではない。この仕事の難しさを自ら経験しました。だから自分と似たような境遇の人を、一人でも多く立派なファイナンシャル・アドバイザーへと育成したい」という日野会員は、ファイナンシャル・アドバイザーの育成だけでなく、金融総合代理店としての大きな成長を視野に入れているようです。
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